たんぽぽの家

ヒストリー

2007
障害者自立支援法にもとづく新事業体系への移行にともない、コミュニティショップCHIRORIを事業統合。 障害のある人のアートを社会に発信し、アーティストの仕事として還元する「エイブルアート・カンパニー」設立。デビュー企画展[9DAYS SHOP_WORK]を開催(6月、東京)
2006
豪日交流基金地域交流プログラムの一つとして、アートセンターHANAのアーティストがオーストラリアでの"アーティスト・イン・レジデンス"を実現(7月)。
2005
わたぼうし音楽祭30周年。 愛・地球博「地球市民村」に出展し、1ヵ月間「エイブル・アート・パビリオン」と関連プログラムを運営(9月)。 一人ひとりの多様性に向き合う対話型デザインコンセプト「インクルーシブデザイン」普及事業に着手。 近畿ろうきん「ひと・アート・まち」が2005年度メセナアワードを受賞。
2004
23年前に建てられた〈たんぽぽの家〉が、地域に開かれた交流の拠点〈アートセンターHANA〉としてリニュアルオープン(5.15)。 障害のある人の舞台表現の可能性を探る「エイブルアート・オンステージ」が始動し(エイブル・アート・ジャパン)、ガムランプロジェクトと演劇プログラム「アクターズスクールくらっぷ(現パフォーマンスユニットくらっぷ)」が誕生。 社会問題と向き合い、人権文化を深めていくアートの意義を発信する「アートとソーシャルインクルージョン」フォーラムを開催(3月)。 上海市障害者連合会との25年にわたる文化交流の功績により、上海市政府より「白玉蘭記念賞」を受賞。
2003
子から親へ愛を贈る「親守唄・歌会」を開催(5月)(〜2007)。豊かな老いを生きるための、家族や地域とのつながりや文化の力を提案。 「ケアする人のケア国際フォーラム」を開催、日本および4カ国の研究者・実践者が仕組みやプログラムづくりについて議論(11月)。
2002
福祉施設における「アート化」セミナーを開催(6月)。 米国の医療やコミュニティの現場で実践されている「ケアする人のケア」への文化的アプローチを学ぶ「ケアする人のケア日米フォーラム」を全国7ヵ所で開催(11月)。
2001
世界8カ国の実践者が集まった「エイブル・アート国際フォーラム」では障害のある人たちの自己表現と社会的役割の実現をうたった「エイブル・アー ト宣言」を採択(3月)。全米アーツ・イン・ヘルスケア学会に参加し、医療やコミュニティケアの現場におけるアートプログラムを視察(4月)。9月には米 国ベリースペシャルアーツ(VSA)の会議に参加。また、エイブル・アート英国展「魂の響き」が開かれる(7-2月)。 トヨタ・エイブルアート・フォーラムが2001年度メセナ大賞バリアフリー賞を受賞(12月)
2000
「まほろば・楽市・楽座」のネットワークから、常設店舗として「コミュニティショップCHIRORI」が生まれる。 芸術とヘルスケア全国研究集会、全国巡回フォーラム開催(9-10月)。「芸術とヘルスケア」への関心の高まりをネットワークづくりにするため「芸術とヘルスケア協会」を設立(2004年「アートミーツケア学会」に改組)。 「ケアする人のケア」研究集会を開催(9月、大阪)。 近畿労働金庫の支援により、人と社会をアートでつなぐプロジェクト「ひと・アート・まち」をスタート(11月)。
1999
東京都美術館で2度目のエイブル・アート展「このアートで元気になる」開催(2-3月)。コミュニティとアートの関わりを探る「障害者アート日英フォーラム」(6月、全国7ヵ所)を機に英国とのネットワーキングが進む。 「たんぽぽ生活支援センター」開設(5.1)。 "ケア"をキーワードに人間のつながりのあり方を考える市民研究「ケアする人のケア」に着手。
1998
福祉ホーム〈コットンハウス〉がオープンし、入居メンバーの自立生活が始まる。給配食事業の拠点「たんぽぽ楽食サービス」もスタート(4.1)。 地域に開かれた魅力ある福祉施設の姿をめざす"アートスタジオ化構想"始動。 「日本ボランティア学会」の設立を牽引(12月)。
1997
東京都美術館で開催したエイブル・アート展「魂の対話」(7-8月)が盛況。「エイブル・アート国際会議」を開催(10-11月)。 "生命の、美の、優しさの恢復"をテーマに「芸術とヘルスケア会議」を開催(11月)。 奈良たんぽぽの会が「自治大臣賞地方自治功労賞」を受賞(11月)。
1996
ものづくりにこだわる全国の福祉施設や作業所の"すぐれもの"を集めてネットワーキングをはかる「まほろば・楽市・楽座」を開始(〜2005)。 書の芸術家集団「Group文字屋」発足、「一期一字展」開催(10月、東京)。 トヨタ・エイブルアート・フォーラムの全国展開がスタート。 日本NPOセンター設立に参画(11.22)。 「芸術とヘルスケア」に関する調査研究を開始、全国3ヵ所で「芸術と癒しフォーラム」を開催(12月)。
1995
阪神淡路大震災被災障害者救援プロジェクト「HELP NETWORK」を展開。 障害のある人のアートを新しい視座でとらえ直す市民芸術運動「エイブル・アート・ムーブメント」始動。「エイブル・アート・フェスティバル'95」を開催(10月、大阪)。NIAD(全米障害者芸術機関)代表のエリアス・カッツ博士を招き、全国5ヵ所で講演(10月)。
1994
「日本障害者芸術文化協会」を設立、障害者芸術文化ネットワークの拠点として東京で活動を開始(2000年「エイブル・アート・ジャパン」に改称)。 奈良たんぽぽの会が文化運動としての功績により「吉川英治文化賞」を受賞(4月)。また財団法人たんぽぽの家が「国際交流基金地域交流振興賞」を受賞(12月)。
1993
障害者芸術文化ネットワーク準備委員会を結成。国際NGO会議にあわせ「センス・オブ・ワンダー・アーツ展」を沖縄コンベンションセンターにて開催(10月) 書展「ほとばしる墨こころ展」を新薬師寺で開催(10-11月)。
1992
スウェーデンより知的障害のある人を中心とするロックバンド「エコー」を招き、全国13ヵ所で公演。 日中国交回復20周年記念わたぼうし芸術祭、アジアわたぼうしワークキャンプを開催(6月、上海)。 障害のある「語り部」たちのチャレンジの場として銀座セゾン劇場(現ル・テアトル銀座)にて「わたぼうし語り部コンクール」を開催(〜2001)。
1991
わたぼうしスピリットが海を渡り、初めての「アジアわたぼうし音楽祭(現・アジア太平洋わたぼうし音楽祭)」がシンガポールで開催される。以降、アジア太平洋地域で2年に1度開催されている。 ネットワーク社会研究所が「NPOが育つ社会環境づくりに向けての調査研究」に取り組み、「草の根議員ネットワーク全国会議」に300人以上が参加(7月)。
1990
アテンダント制度をスタート。ケアの充実のためだけでなく、女性の社会参加、地域の力の掘り起こしに取り組む。 韓国の舞踊団ヌリを招聘(8月)。
1989
障害を個性ある語り口として生かす「わたぼうし語り部」の育成に取り組む「語り部学校(現・語り部塾)」を開講。 天安門事件を超えて「上海市ろうあ者芸術団」招聘を実現、全国10ヵ所で公演(7-8月)。
1988
劇的空間施設〈わたぼうしの家〉がオープン。〈たんぽぽの家〉〈わたぼうしの家〉の2つの建物を拠点として、「社会就労センターたんぽぽの家」(身体障害者通所授産施設)スタート。「たんぽぽ憲法」を制定。 ネットワーク社会研究所の活動を開始、日本ネットワーカーズ会議との連携により『ネットワーキング』の著者、リップナック・スタンプス夫妻招聘(11月)。
1987
「社会福祉法人わたぼうしの会」が設立認可(7.24)。
1986
〈わたぼうしの家〉建設キャンペーン本格化。
国際平和年にあたり、文化の視点から平和を考える祭典「ピーストピア」を東京で開催(9月)。
1985
国際青年年、翌年の国際平和年にあわせ、福祉風土づくりの一環として若者たちが平和を訴えるミュージカル『ピースブック』を制作、全国16ヵ所で上演。国際青年会議日本代表の手で「平和の旗」を国連本部へ(11月)。 歌うボランティアわたぼうしが「毎日社会福祉顕彰特別賞・国際青年年賞」受賞。
1984
わたぼうし文化基金東京事務所を拠点に「ネットワーキング研究会」の活動を開始。日本青年奉仕協会の委嘱を受け、ボランティアのためのニューマガジン『グラスルーツ』を創刊。
1983
国際コミュニケーション年にあわせ、"ビューティフル・コミュニケーション"をテーマにコンサートを展開。芸術文化の力でさまざまな人と人との間の壁を超えようと「わたぼうし芸術祭」を全国3ヵ所で開催(7月)。 地域活動者集中セミナー「イベントロジー」開催(8月)。 〈わたぼうしの家〉づくり債券「わたぼうし債」発行。
1982
わたぼうし日中友好団が訪中、人民大礼堂にてわたぼうしコンサートを開催(1月)。このとき出会った「上海市ろうあ者京劇団」を招聘、全国5ヵ所で公演(7月)。
1981
国際障害者年を記念し、障害のある人たちの埋もれた文化を掘り起こす「わたぼうし文化基金」創設(1月)。各地の障害のある人たちの文化活動支援や出版活動を行う。同年東京事務所を開設(12月)。 パリ・ユネスコ本部でわたぼうしコンサート(6月)。世界10ヵ国・地域から参加者を迎え、全国3ヵ所で「世界わたぼうし音楽祭」を開催(8月)。 "ことばを得ることによって想像力がはばたき、その想像力が未来をつくる"をテーマに「わたぼうし文学賞」を創設。第1回受賞作品集の絵本『たもうたん』出版(12月)。
1980
〈たんぽぽの家〉待望の完成。夢の実現を見届けることなく他界した仲間たちの遺品の上に"いのちの木"を植樹(5.25)。 日本青年奉仕協会(JYVA)が派遣する"ボランティア365(1年間ボランティア)"の受け入れを開始。 上海市盲童学校音楽バンドを招聘、全国5ヵ所で公演(7月)。 奈良たんぽぽの会が「第10回毎日社会福祉顕彰」受賞(9月)。
1979
「わたぼうしコンサート」の"歌うボランティア"たちが中国を訪問、音楽を介した日中の民際交流がはじまる。
1978
「わたぼうし」に寄せられた詩に、関西で活躍するイラストレーターがイラストをプレゼントしてできた絵本『みんな同じ空の下に』を送る運動をすすめる。「たんぽぽ学級」をスタート、「自立プログラム」へと発展していく。
1977
本格的な家づくりキャンペーン"一億円募金運動"を開始、ついに〈たんぽぽの家〉建設用地が決定。 わたぼうし東京コンサート(3月、読売ホール)。
1976
わたぼうしコンサートは全国的な反響を呼び「わたぼうし音楽祭」へと発展。第1回全国わたぼうし音楽祭(9月、奈良県文化会館)。 たんぽぽの家づくりをすすめるために「財団法人たんぽぽの家」が設立認可を受け(8.4)、1口1万円を10年間無利子で引き受ける福祉債券「たんぽぽ債」を発行。
1975
初の「わたぼうしコンサート」(4月、奈良県文化会館)。養護学校の生徒の書いた詩を読んだ音楽好きな若者たちが、そのみずみずしさに感動して曲をつけ発表。 その感動は、テイチクレコードの協力によりレコード化。LPレコード『みんな同じ空の下に生きている』発売、記念コンサート(10月)。 奈良市北京終町のアパートに事務局を開設し、福祉風土づくり市民講座など、地域に根ざした活動を開始。
1974
たんぽぽの家づくり資金集めとして画家の芝芳雄さんのチャリティ絵画展が恒例となり、2000年まで毎年開催。南都諸寺の協力によるチャリティ墨跡展が好評。
1973
体の不自由な子どもたちが養護学校を卒業した後も、生きがいをもって生活できる地域に開かれた自立の家をつくろうと「奈良たんぽぽの会」発足(4.29)。資金集めの手段として、誕生日に1口1,000円の基金を寄せる「お誕生日基金」をはじめる。